2008年11月23日

霊界と現実の世界の狭間で

1408.jpg 今日は、映画「1408号室」を観て来ました。

 一言で感想を言いますと、「霊的な世界を見事によく現わしている!」です。単なるオカルト映画ではありません。この映画の意味を深く知ると、毎日を高潔に生きなくては!と思わざるをえません。

 つまり、嘘をつかずに、清く正しく生きるということです。私は決して成人君主的なカッコいいことを言っているわけではありません。毎日の生き方を正さないと、死後の世界、つまり霊界で裁かれることになるからです。でも、神様である創造主が裁くのでありません。自分で自分を裁くのです。

 人間には、この肉体と、目に見えない霊体(意識体)があります。そして、人間がこの肉体の死を迎えると、死後の世界、つまり霊界では、霊体(意識体)で生きることになります。肉体という一つの殻を脱ぎ捨てて、霊の身体で生きるのです。また、人間には魂があって、その魂は永遠の命をもっていて、転生輪廻をします。

 この現実世界では、嘘をついてもごまかしても、人を騙しても、自分の心を隠すことが出来ます。しかし、霊界では、自分の心が透けて相手に見えてしまいます。

 人間は死ぬと、この現実世界、つまり地上での心の状態や行いによって、自分に合った霊界に入ります。嘘つきは嘘つきの霊の世界に、人を騙す人は、人を騙す霊の世界へと行くのです。霊の世界は、たくさんの界層に分かれていて、自分の心の状態によって、どの界層へ行くのかが決まります。

 この地上である現実界に生きている時に、死後の世界、つまり霊界を知らないと、肉体の死を迎えた後、この現実界と幽界というところを行ったり来たりさ迷うことになります。そして、霊界に行くことができずにこの地上をさ迷っていると、この地上で「幽霊」になってしまいます。

 死後の世界、霊の世界を知らないで死ぬと、例えば、戦争中に亡くなった人は、自分が肉体的に死んだということを悟るまで、バーチャルな空間である幽界でずっと戦争をし続けます。

 また、この地上で人を殺して、反省がない人は、自分が死んでいること、そして、人を殺したことを懺悔(ざんげ)するまで、幽界で人を殺し続けるのです。

 また、創造主から与えられた命を自分から断つ行為である自殺者も、死後の世界があることを悟るまで、また自分の命を断ったことを悔いるまで、自殺した時と同じ状況、つまり苦しい心の状態のまま、延々と幽界と現実界をさ迷うのです。その苦しみは、筆舌に絶えません。

 映画「1408号室」では、主人公が自殺者が多発したあるホテルの1408号室に泊まるのですが、あらゆる怪奇現象が起き、この現実界と霊界との間を気も狂わんばかりに行ったり来たりするというストーリーです。現実界と霊界(幽界)の間をさ迷うということは、大変苦しく、自分の意識が喪失しそうになります。


 また、映画の主人公は、どこまでが現実か、そしてどこまでが一体霊界なのか、区別がまったくつかなくなるのです。生きながらにして霊界へ引きずりこまれそうになるのですが、気丈にも、自分以外の浄化されていない霊たち、浮遊霊たちの執拗な攻撃に打ち勝ち、この地上に生きて戻ってくることが出来ました。

 死後の世界、霊の世界を悟っていない人にとっては、霊界での一時間が一千年のようにとても長く感じられます。悟らない人にとっては、悟るまでとても長く辛い時間を費やさなければならないのです。

 霊界と現実界とは、この地上で10円玉の裏と表のように、重なり合っています。従って自分の意識の持ち方次第で、瞬時にして霊界に入るのです。

 映画「1408号室」は、霊界と現実界の表裏一体の仕組みを見事に説き、またこの地上での自分の心の在り方や行動がいかに大切かということ、そして、人間には、必ず死後の世界、霊界があることを悟ることの重要さをとてもよくあらわしていました。

posted by realistictime at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ミステリー体験・異次元世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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